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駱山公園(ナクサンコンウォン)

シギョンとジェシンが追いかけっこしてたどり着いた場所
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ソウル近隣公園(地下鉄5号線西大門駅下車)と思っていたんですが・・・・
右手にソウルタワー
眼下に東大門のビル群があるから
位置的に何となく違うなぁと疑ってはいたんです

やっぱり違ってました

駱山公園(地下鉄4号線恵化駅下車)でした
駱山公園(ナクサンコンウォン)_c0010833_11375492.png

1394年に太祖(李成桂)が漢陽に都を定め、王宮や宗廟の建築をした後、1395年(太祖4年)に“都城築造都監”と呼ばれる機関を設け、都を守るために周囲を取り囲む都城建設に取り掛かる。朝鮮王朝の建国に尽くした幕僚の鄭道伝(朝鮮王朝初期の政治家・学者)に命じて候補地を探させた。1396年(太祖5年)には、春秋2回に分けて建築作業が行なわれた。全国から春秋を合わせて約19万7,400人が動員され、98日間で完成させたといわれる。当時の漢陽の人口がわずか10万人程度であったことを考えると、工事の規模がどれほど大きなものであったかが分かる。
その後、世宗(李氏朝鮮第4代国王)の時には、城郭の全面的な補修整備が行なわれ、それまで土で積み上げられていた部分を石に変え、攻撃、防御施設なども設置された。粛宗(李氏朝鮮第19代国王)、英祖(李氏朝鮮第21代国王)の時にも修復や敵を監視する施設などの設置工事が行なわれた。
内四山の稜線を結んで築いた城郭は、周囲約18km、高さ約12mに及んだ。城郭の途中には、東西南北の4つの大門と、その間に4つの小門、水門2箇所も建設された。
城郭は度重なる崩壊と修復を繰り返してきたが、日本統治時代の都市計画や朝鮮戦争、鉄道の開通などによって城門と城壁の多くが崩壊してしまう。特に山に築かれた城郭を除いて、平地に築かれた城郭は全て取り壊されることとなった。
1970年代から復元事業が進み、現在は約10.5kmの城郭となり、史跡第10号に指定されている。駱山に続く東大門から恵化門の区間は約2.1kmで、城郭に沿って散策道が整備されている。


じつはここ5年前に近くまで訪れたことがあるんですよね~

この時8月の真夏で恵化駅からてくてく徒歩で坂道を行ったもんだから
汗だらだら 体だるだる 足がくがく になった思い出があります
現地に着いてからの余力を残しておくために
次回はタクシー利用で行こうと思います

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by cyu-rin | 2013-02-09 12:09 | 조정석絡み